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2009年05月05日

外付けメイド喫茶

【スターバックス】とか【エクセルシオール】を見てると、ふと思う。

オープンカフェのメイド喫茶って無いものか?

需要のある地域にオープンな場所が無いからなのか、それとも存在してるのに自分が知らないだけなのか。

例えば東京屈指のオフィス街・丸の内のど真ん中にオープンメイドカフェがあってもおかしく無いどころか、異色相容れてけっこう似合う気がしなくも無い。
例えば閑静な住宅街・自由が丘に庭園を模したオープンカフェがあってメイドがアフタヌーンティーの準備をしてくれるなんてサービスがあっても良いと思う。
例えばネオン輝く新宿・高島屋の屋上から夜景を見下ろせる夕方から始まるメイドカフェで少しブランデーを落とした大人テイストの紅茶で今日を思い返すのはどうだろう。

メイドではなくバトラーでもいい。
一日という時間の中に「非日常」という隙間を組み込むことでいつもと違う「今日」を演出する。
それがメイドカフェ!

夜明けが見えない経済危機。
先行き不透明な介護問題。
官民の思惑が相反する国政。
この国は病んでいる!

自分の身は自分で守らなければならない。それはつまり一瞬の気を抜くことが許されない生き抜く為のサバイバル。
そう!あらゆる行動が自己責任!
自分の主人は自分以外にいない!

だが待ってくれ!ここでメイドカフェに立ち寄ってみよう!

すると、なんということでしょう。
扉を開けた瞬間から出迎えたメイドは貴方を「ご主人様」と呼び、貴方のオーダーに応えてくれます。
時にはメイド服を脱ぎ捨て、巫女姿や学ランに着替えての御もてなしに閉ざしていた心も開いていくことでしょう。
生きることが地獄でしかなかった現実世界に、今日を越える希望とぬくもりがそこにはあります。

ようこそ。メイドカフェへ!
メイド一同、心よりご主人様の為に尽力いたします。




・・・結局、何が言いたかったんだっけか。
ああ、オープンカフェのメイド喫茶か。

どっかの学園祭とかでやってるんじゃないの?
2009年05月03日

【Venti】×【思い出】

海外に行ったわけでも無いのに、何故か夜中に39度の熱が出て「これ、もしかしてキタんじゃないか?」と思ったら一日で治ったよ。
あの高熱はなんだったんだろうか。

まぁ、それはさておき。

つい先月くらいか。スターバックスに数年ぶりに入った。
高校時代は毎日のように学校から徒歩5分のスタバに寄って、モカフラッペチーノを片手に何時間でも駄弁ってたのを少し思い出した。
メニューは、増えてるのか増えてないのか分からない程度に知ってる商品が並んでる。季節限定メニューと軽食のケーキが目新しいくらいか。
せっかくなのでサイズはグランデにしようと思っていたのに、よく見るとその上に知らない名前が。

「Venti」

・・・なんて読むのかしら?
店員さんに聞いたら「ベンティ」と読むらしく、それをオーダー。聞いたとき、店員に笑われたが女性店員だったので許す。男だったらスチームドミルク用のスチームを素手で握らせてた。

自分が知ってるスタバはグランデが一番大きかったのに、時代の流れを感じる。
んまぁ、出てきたものはとにかく大きい。

それから週5くらいでスタバに立ち寄り、ベンティでフラペチーノを飲むアクションが自分の生活サイクルに組み込まれた。
中身に寄るかもしれないが、意外と飲みきれるサイズ。

そうか。「ベンティ」か・・・
マクドナルドみたいに、よくよくテレビCMしない場所に久々に立ち寄ると思いがけないメニューの変わりようと、昔から変わらない味が同じ空間に同居してたりして、新しいお店を見つけた気分と過去に取り残された気分を同時に味わってるみたいだ。

少しうれしい。少しさびしい。
2009年04月24日

明日は秋葉原に行こう。そして様変わりした空気を吸ってガッカリしようか・・・

最初は大きな電気街だった。
すこしして、ゲームセンターに強いプレイヤーが集まるようになった。電気街というブランドにゲーマーの聖地というブランドが重なった。
またすこし時間が流れ、電気街にはゲームの他にアニメやコミックショップが立ち並ぶようになった。
それでも、この街は「そういう街だから」とある種の納得感があった。いわゆる「聖地」と呼ばれるようになっても、それぞれの分野が独立独歩し、栄枯盛衰の中でも共存していた。

インターネットの普及に伴い掲示板を爆発的に騒がせたある事件が起こる。
その事件は社会現象になり、マスコミはこぞって秋葉原を「オタクの街」として取り上げた。秋葉原の客層は一変した。
それに伴い、オタク狩りやゲーム脳という言葉が発生する。さらに少女監禁事件の犯人がアダルトゲーム中毒者であったことからオタクは危険という間違った知識がテレビで流された。

いま、秋葉原には大きなビルが立ち並ぶ。
それらは電気店では無く、アニメショップでも無い。巨大なオフィスビル。
「電気街」だった秋葉原は「オタクの街」として紹介され、今度は「ITの街」に"された"。

自分の知っているもっとも楽しかった秋葉原は駅前に広場があり、スケボーやバスケットボールが遊べた。万世橋の手前にパチンコ屋は無かった。
さすがにこれは古い話し。
でも、ここ3年。たった3年で秋葉原は変わりすぎた。昔の面影は残っているものの、あの街を楽しいと思えなくなってしまった。
5年前までは週3日はアキバに通い、グッズやマンガを買って20時には店が閉まるから夕飯を食べる場所を探して歩いていた。
アキバで散財という言葉が誇らしかった。
コミケ帰りにアキバでコミケの袋を持っていると「やるねぇ」と思った。

今、コミケ帰りにコミケグッズ持ってる人間は7割方テンバイヤーだ。
街が食い荒らされたせいか、純粋なオタクやカオスな雰囲気は明らかになくなった。オフィス街に仕立て直す一貫としてSmoker'sStyleのような喫煙所も無くなった。治安がよくなり、不道徳と思われる看板やノボリは歩道から撤廃された。

これは秋葉原なのだろうか?
明日ひさびさに秋葉原に向かう。またすこし変わってしまっているのだろうか。
何か、イヤな気分だ。
2009年04月22日

日々平穏が物足りないのか、日常平穏で物足りないのか

仕事していたとき。って言うと今ニートみたいなに思われるな。
あー、ちょっと大きな会社に勤めていたときは毎日がそれなりにエキサイティングで、でもそれが当たり前になって。たまに来るトラブルの対処が気持ちよくて。でもそれにも慣れてしまって。
とにかく日々が当たり前になることで物足りなさを感じていた。

ただ今、絶賛療養中の身の上で家事や買い物くらいはできるけど、ちょっと仕事に出るのが辛い。親父様の仕事の手伝いとは言え、半ニートみたいな生活になってしまっている。
今まで忙しかった中でいきなりポカンと時間が空いてしまうと、今度は日々が物足りなくなってくる。つまりは暇なんだ。

一先ずこの話は横においておく。

物事をうまく進めるには努力か才能が必要らしい。
2つとも持ち合わせてれば言う事無いだろうけど、残念なことに通常はどちらか1つでやりくりするものだと思う。
努力したからと言って成功するとは言えないし、才能があるからと言って行き詰らないわけでもない。
でも必ずどちらかが発動する機会があるわけで。

これを日常ってものに当てはめてみた。
日々が物足りないにしろ、日々で物足りないにしろ、少なからずこう感じてしまった人は日々を送る努力を怠っているか、才能がないのかもしれない。

日々を送る才能ってなんだ?と言われてもサッパリだけど、少なくとも毎日が充実してる人間に比べるとそう感じる。
また、毎日を楽しくしようとする努力を怠っているから暇に感じるてのかもしれない。
日々を送る才能か、努力。
どちらか片方でも回転させてれば毎日成功してるようなものかもね。

あ、「毎日成功」ってすごい言葉だな。
2009年04月20日

「苦労は買ってでもしろ」?したくありません。

「若い内の苦労は買ってでもしろ」なんて言われます
ドラえもんの道具にも、食べた人間が自ら困難に身を投じる「苦労みそ」なんて道具が登場するほど有名な言葉。
教訓めいたものなので、若いうちに少し無理をしておけば将来実になるってことを言いたいんだと思う。自分も同じ様なことを小さい頃言われた。
でも実際のところ、買ってまで苦労したい人間なんていない。むしろ売りたい。

成功してる人間の苦労話(と言われるもの)を聞くことがあるけど、あれは苦労話というより、むしろ取り巻く環境の話のような気がしてる。
「今までも、これからも裸一貫、自分だけの力」の話がほとんど無いもん。特に運営してるものが大きければ大きいほど、もう一人の力で動かせなくなってる。
成功者って自分達の苦労ってもんを他人に分けてるんじゃないかと思う。
他人に自分が本来するべきだった苦労を請け負ってもらう代わりにその分の時間を有効的に使う。

現代では「自分を効率的に使える人間」の方が「苦労を買ってでもした人間」より早く上がれるんだろうな。
自分はまだそんな域に達してないけど。

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